友人や職場の同僚など周りの人と会話をしている際、自分の「真意」が上手く伝わっていないなぁ、もしかして誤解されてる?と思ったり、言いたい事はあるのに、その思いを上手く表現する「言葉」を自分が持っていなくて相手との距離を縮めたいのに親しくなりきれない「もどかしい」思いをしたことってありませんか?
今回は、友人や家族、職場の同僚など周りの人と良好な人間関係を築くためのヒントとして、「自分なりの正しさ」に潜む「怖さ」や、相手に悪い心証を与えることなく自分の「真意」を的確に相手に伝える「伝え方のコツ」についてご紹介します!
周りの人ともっと良好な人間関係を築きたい!のに、なかなか思うように上手くいかないなぁと日頃「もどかしい」思いをしている人は、是非参考にしてみて下さい!
無自覚の「正しさ」の「怖さ」
2014年に発売された、SEKAI NO OWARI (世界の終わり)のメジャー7枚目シングル「Dragon Night」の歌の中に、次の歌詞があります。
人はそれぞれ「正義」があって、
争い合うのは仕方ないのかも知れない
だけど僕の嫌いな「彼」も彼なりの理由があるとおもうんだ・・・(中略)・・・
人はそれぞれ「正義」があって、
争い合うのは仕方ないのかも知れない
だけど僕の「正義」がきっと彼を傷付けていたんだね
私自身、この歌詞を初めて聴いた時に「ハッとさせられた」のを今でも覚えています。
なぜなら、
私も知らないうちに、「自分なり」の「正しさ」を他人に押し付けていることがあるな!と気付かされたからです。
そして、
知らないうちに「自分なり」の「正しさ」を押し付ける言動をした結果、自分が気付かないところで相手を傷付けてしまって、相手との人間関係を悪化させる場合もある、という「怖さ」を改めて痛感させられました。
「自分なりの正しさ」を持つこと自体は、悪いことではない!「個性」になる!
違法なことや公序良俗に反することは論外ですが、人それぞれ、本人が自覚しているかどうかはともかく、自分の意見や主張、これまでの経験を通して培った信念など、「自分なりの正しさ」を持っていますよね。
その「自分なりの正しさ」を持つこと自体は、悪いことでも何でもない!
と私は思います。
なぜなら、
「その人なりの正しさ」というものは、「その人が生きてきた証」なので、その人の価値観の核となり、その人の「個性」だからです。
正直に言えば、人間関係は自分の思い通りにならないことも多々あって、わずらわしいことからは逃れられない面もありますよね。
しかし、
わずらわしい面があったとしても、それでもヒトがヒトと人間関係を築くのは、自分以外の他人を「知る」ことの「面白さ」があるからだと思います。
そして、
その他人を「知る」ことの「面白さ」の大前提となっているのが、ヒトは1人として同じヒトがいない、ヒトは1人1人それぞれが「異なる」ということだと思います。
その上で、
1人1人が「異なる」ことを、「お互い」が「面白がる」!
というところに、人間関係を築く醍醐味があるのではないでしょうか。
このことを端的に表現している一節が金子みすゞの「私と小鳥と鈴と」という詩の中にあります。
みんなちがって、みんないい。
そうはいっても、
「個性」を持つということは時に周りの人から疎外感を覚えたり、分かり合えない場合もあります。
そんな中、ヒトがそれぞれ持つ「個性」の素晴らしさを思い出させてくれて、「個性」を大事にする「勇気」を与えてくれるティム・バートン監督の映画『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』もおススメです!↓↓↓
相手に悪い心証を与えることなく、自分の「真意」を上手く相手に伝える「2つのコツ」!
「自分なりの正しさ」を持つことは自分の「個性」でもあるので、その「自分なりの正しさ」を隠したり押し殺したりすることなくそれを素直に「表現」しながら社会でのびのびと生きていけたら、どんなにか生きるのが「楽」になることでしょう。
しかし、
前述の通り、私達が何も考えずに自分の思いを表現すると、知らないうちに「自分なりの正しさ」を相手に押し付けてしまう場合もあり、その結果、自分が気付かないところで相手を傷付けてしまって相手との人間関係を悪化させる場合もある、という「怖さ」がありますよね。
そこで、
社会の中で生きていて、周りの人と良好な人間関係を築きたいと思っている人は、「自分なりの正しさ」をストレートにそのまま言葉にすると困ったことになってしまうので、「自分なりの正しさ」を表現する際には、相手に悪い心証を与えることなく自分の「真意」が相手に伝わりやすいように「工夫(加工やアレンジとも言えます!)」が必要になってきますよね。
ここでは、「自分なりの正しさ」を表現したい個人としての「自分」と、社会の中で周りの人と良好な人間関係を築きながら生きていきたい「自分」という「2つの側面を持つ自分」を上手に「両立」させて、のびのびと社会の中で「楽」に生きていくための「2つのコツ」をご紹介します!
コツ1:自分の真意を「表現」しつつ、相手に悪い心証を与えない「言葉」を味方に付ける!
「自分なりの正しさ」に自信を持っていても、他人に「自分なりの正しさ」を「押し付け」てはいけないし、押し付けていると「感じさせて」もいけない!としたら、
では、
相手に悪い心証を与えることなく自分の「真意」を伝えるためには、実際どういう「言葉」を選べばいいのでしょうか?
具体的な「言葉」となると、実際どんな表現をしたらいいのかイマイチ自信が持てなかった私は、その場その場で的確な「言葉」がスラスラと言える人を本当にうらやましく思っていました。
社会の中でヒトに「もまれて」生きていると自然とそのような「表現力」が身に付く人もいますが、私のようにイマイチ「オトナの物言い」に自信が持てない人は、外国語を学ぶように、相手に悪い心証を与えずに自分の「真意」を表現する「オトナの物言い」をこのような本で「学習」するのも一案です!↓↓↓
コツ2:「正しさ」に「優しさ」をプラスしてみる!
「自分なりの正しさ」を表現したい個人としての「自分」と、社会の中で周りの人と良好な人間関係を築きながら生きていきたい「自分」という「2つの側面を持つ自分」を上手に「両立」させて、のびのびと社会の中で「楽」に生きていくための「2つのコツ」の1つ目は、自分の「真意」自体を押し殺すのでなく、相手に悪い心証を持たれないような「言葉」を選択して表現する!ということでした。
2つ目のコツは、自分なりの「正しさ」に「優しさ」という視点を加えて表現してみる!
ということをおススメします!
この考え方は、重松清の『ファミレス』を阿部寛主演、遊川和彦監督・脚本で2017年に映画化した『恋妻家宮本』の中に出てくるものです。
そもそも、「正しさ」というのは、常に絶対的なモノという訳ではなく、ある人の視点や価値観から見たら「正しい」けれども、別の人の視点や価値観から見たら「正しくはない」という場合もありますよね。
誰しも「自分の」正しさを尊重してもらいたいと思いがちですが、それは相手も同じ気持ちで、お互い様ですよね。
ヒトは、ありのままの自分を認めてくれる相手には「好意」を示すことが多く、その反対に、自分の意見を頭ごなしに否定してくる人や、相手自身の意見によって相手が自分をコントロールしよう!という気配を感じ取ると、そういう相手に対して「拒否反応」を示しがちです。
「自分なりの正しさ」を主張する時に、ほんの少しでも相手の思いを尊重する「優しさ」を加えると、相手の気持ちに寄り添うことができて、ひいては自分が伝えたかった自分の「真意」がスーッと相手のココロに届く可能性が高まります。
映画『恋妻家宮本』の原作の、2013年に日本経済新聞出版から出版された重松清の『ファミレス』はこちら↓↓↓。
まとめ
「自分なりの正しさ」という自分の「個性」を大事にして生きていくことと、社会の中で周りの人と良好な人間関係を築きながら生きていくことは、人によっては「難しいこと」だと感じますよね。
難しくても、誰かと人間関係を築くことを諦めてしまっては人間社会で生きている醍醐味を味わえずに面白くないので、そんな時におススメしたいのが、
1.相手に悪い心証を持たれないような「言葉」を選択して表現する!
2.自分なりの「正しさ」に「優しさ」という視点を加えて表現してみる!
というこの「2つのコツ」です!
周りの人ともっと良好な人間関係を築きたい!のに、なかなか思うように上手くいかないなぁと日頃「もどかしい」思いをしている人は、是非参考にしてみて下さい!